由来
開山(お寺を開いたお坊さん)は唱蓮社念譽了達上人,開基(お寺を建てた人)は佐々木與三兵衛尉宗綱という二人によって宗紅寺は建立されました。
その時代は永禄~元亀間と伝わっており、元亀元年は西暦1570年ですから、今から四百四十年以上も昔のことです。
開山上人は江戸増上寺の役僧にして、幕府の命によりキリシタン退治の為に全国各地を布教していました。全国の至る所に寺院を建立し,肥前の国にたどり着いた時、佐々木與三兵衛尉宗綱氏と出会い意気投合し当寺は創建されました。
その後、開山上人は慶長弐年七月十五日に『随所寺院建立』という志願を果たすために漂然と当山を去り,それから戻ることがなかったため,この日を以って示寂の忌日と定めています。
一方、開基佐々木與三兵衛尉宗綱は,筑後国中尾村より肥前国松浦郡奥浦村(現伊万里市東山代町長浜)に来て、時の国主鍋島家に仕えておりました。
鍋島直茂の命を受け奥浦村の塩田開墾に従事し私財を投じ自己の彼官を集め二十五戸の一部落を附し製塩を行っておりました。宗綱(そうこう)氏は一門の菩提を弔うとともに浄土宗法弘通の道場とするために、自らの所領の地である茅の原に一寺を創建し、宗紅寺(そうこうじ)と名付けました。宗鋼氏は慶長十四年八月五日(西暦1609年)に亡くなっています。
また、現在の本堂・鐘楼堂は第十五世住職(前島氏)による再建です。当山は明治三年三月九日の火災により本堂を除く一切の伽藍及び記録等が消滅したため、以上に記す内容は、第十八世住職説譽上人が第十七世仁譽上人より伝聞され記録されたものです。